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コラム 「NO FUR ということについて」 最近コラムをお休みしてしまったり、「印度うさぎ劇場」の更新が遅れてしまって申し訳ありません。 11月発行予定の本の原稿が遅れていたり、うさフェスタに向けての準備が色々重なってしまい、 しばらくはこのような状態が続いてしまうかもしれません。 本当に申し訳ありません。 そのようなさなか、本日「印度うさぎ」は「NO FURデモ行進」に参加をして参りました。 50名強ほど・・・でしょうか、NO FURに賛同しておられる方々が結集し、 大阪の御堂筋を「NO FUR」を唱えながら、警察の皆様に先導していただいて、行進しました。 集合場所では「NO FUR 大阪」の組織の方が、プラカードや着ぐるみ、鳴り物、チラシなど、 さまざまなPRグッズを準備してくださっていました。 そこには、生きたまま毛皮を剥ぎ取られた無残なうさぎやきつね、アライグマの写真を パネルにしたものが何枚もありました。 首から下の毛皮を剥ぎ取られて、むき出しの皮下組織から血を滲ませている動物を掲げて 「あなたの買った毛皮の一部をお忘れですよ」と訴える女性のポスターもありました。 見ているだけで鳥肌が立つむごたらしいものでした。 ただ、生まれてきて一生懸命生きていく動物たちがなぜこんな目に合わなければならないのでしょう。 彼らにもお父さんやお母さんがいたはず、そして、そのお父さんやお母さんは、人間の両親と同じように 命を削って彼らを産み育てた。 それは、決してこんな死に方をさせるためではないはず。 「印度うさぎ」は涙をこらえながら、プラカードを持ち、「毛皮反対!!」と唱えながら行進しました。 誰かわたしの声を聞いて。一匹でもいいから、動物たちが不遇の死に至らぬように・・・。 今日より一週間前にデモ行進を行った「NO FUR 東京」の方々よりメッセージが届いていました。 その中にこんな言葉がありました。 「これから動物たちは換毛期を迎え、冬毛に生えかわります。 そして、そのことは彼らにとって殺される時期が来たことを意味するのです」 何かの命を頂戴しなければ生きていけないのがこの地球上の生物です。 ただ生きているというだけで、誰かの犠牲を強いていると言えるでしょう。 その事実を否定することはできません。 なぜなら、それは生きるということを否定することですから。 しかし、暖かく豊かなこの国で、生き物の毛皮を剥いでまで纏わねばならないどんな理由があるのでしょう。 あったとしても、それは何ものかの命以上に大切な理由なのでしょうか。 今の季節、どのブティックにもファー商品が並んでいます。 そしてひとりの人間が身につけるファーの量はいったい何匹の動物分の命なのでしょう。 そのために、一日何百匹の動物が生きたまま皮を剥がれているのでしょう。 今、私の隣で茶之介がおいしそうにに牧草を食べています。 彼は元気に生きていて、柔らかくて温かです。 私を信頼し、命を預けてくれているこの小さな家族を、なんとしても守らねばと心から思います。 そして、縁があれば、茶之介と同じように、私の家族になったかもしれない動物たちの命を、 ひとつでも、ふたつでも守ることができたら・・・と微力ながら願っています。 最後に、 デモ行進を主催してくださった「NO FUR 大阪」および「特定非営利活動法人アニマルライツセンター」の皆様、 このチラシ画像の転載を許可してくださった「NO FUR 大阪」のLUNA様、ありがとうございました。 |
